ミースファンデルローエ
建築・製図・設計・日記
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★ミースファンデルローエとは★
ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエという!!
20世紀のモダニズム建築を代表するドイツの建築家である
三大巨匠の一人である
more.(より少ないことは、より豊かなこと)という標語で知られ、近代主義建築のコンセプトの成立に貢献した建築家である。
柱と梁によるラーメン構造の均質な構造体が、その内部にあらゆる機能を許容するという意味のユニヴァーサルスペースという概念を提示した。
ミースは、ドイツのアーヘンに、墓石や暖炉を主に扱う石工の家に生まれた。職業訓練学校で製図工の教育を受けた後、建築調査部で漆喰装飾のデザイナーとして勤務。
1906年にブルーノバウルの事務所に勤務。
1907年に最初の作品であるリール邸を手がけている。
1908年から1912年まで建築家ベーター・ベーレンス事務所にドラフトマンとして在籍し建築を学ぶ。
1912年、独立して事務所を開設。
1913年、アダブルーンと結婚。
妻の紹介で富裕層の住宅の設計を手がける。
1927年、ドイツ工作連盟主催の住宅展に参加し、集合住宅を建設した
グロビウスの推薦で1930年からバウハウスの第3代校長を勤めた。
ナチスによってバウハウスが閉鎖(1933年)されたため、アメリカに亡命した。
シカゴのアーマー大学に招かれ、同大学のキャンパス計画も手がけた。
四方をガラスの壁で囲んだファンズワース邸(1950年・アメリカ)も代表作の一つ。イリノイに週末別荘として建てられたもので、建設費が当初予算を大幅に超えたため、訴訟沙汰になったがミースが勝訴した。2003年にオークションに出され、ナショナルトラストが取得。ユネスコ世界遺産に登録された。
超高層ビルの実作品として、ニューヨークのシーグラムビル(1958年竣工)があるが、モダニズムの超高層ビルの中では、SOMのレバー・ハウス(1952年竣工)と並んで、最もすぐれたデザインの超高層ビルともいわれている。
他の代表作に、ブルノのトゥーゲントハット邸(1930年・チェコスロヴァキア)、レイクショアドライブ・アパートメント(1951年・シカゴ)、ドイツ国立美術館(1968年・ベルリン)などがある。
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